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就活や転職活動の際に役に立つかもしれないブログ

働くために役に立ちそうな事やお金に関する事を日々書いていこうと思います。

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半沢直樹だけではない⁉多くの会社に存在する出向とは?

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半沢直樹のドラマで出てきた『出向』ですが、実際の企業ではどのようになっているのか気になるところです。

 

この出向と言う言葉を聞くと、ネガティブなイメージを持ちますが、本当にネガティブなものなのでしょうか?

 

銀行だけではなく、多くの企業にある出向の現実について、今回は見て行きましょう。

 

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そもそも『出向』とは何か?

一般的には、クビの代わりに『出向』というのが多い傾向にあります。

 

では出向とは、

 

 

○子会社・関連会社の経営・技術指導

 

○従業員の能力開発・キャリア形成

 

○雇用調整

 

○中高年者の処遇

 

などの様々な目的で活用されています。

 

出向には2種類あり、一つはネガティブイメージのものと、出世を前提とした栄典の出向があります。世の中のイメージは、ネガティブの方が強いと思います。

 

 

それでは、一つ一つ見ていきましょう。

 

ネガティブな出向、いわゆる片道切符で、ある期間出向したら、そのままその企業に転籍になるケースです。

 

なぜ企業は出向という、人事異動をするのか?

 

それは、『人員整理をしたいから』これに尽きると思います。

よく大企業などでは、希望退職者を募る企業もありますが、ごく一部の企業だけです。

 

ほとんどの企業は、退職金の上乗せする余裕もなく、イメージダウンも避けたいので、出向や転籍と言う手段をとる企業の方が多いのです。

 

その方法としては、本体である企業から社員を切り離して(出向)、給料体系が本体より低い企業に転籍させることで、人件費を削減するというものです。それによって、あわよくばやる気をなくさせて、自己都合で退職させるように仕向けるということです。

 

 

このようなネガティブな出向のほかに、出世が約束された出向も見ていきましょう。

 

この出向は出世の前に、いったん外へ出て経験を積ませて戻ってきて昇格するパターンです。

 

先ほどの出向では、主に中高年に多いパターンではありますが、こちらの場合は比較的、中堅と言われる年齢の人にある、出向のパターンではないかと思います。

 

そもそも出向の本当の意味は、『雇用関係にある企業に在籍したまま、子会社や関連会社において業務に従事する事』で籍はおろか、給料が減らないのです。

 

 

出向のパターンは、人によって異なり、若い従業員の育成や子会社の立て直しを図り場合や、リストラの一環など様々です。

 

 

 

そのなかでも、出向の対象になりやすいタイプの人が居ます。

 

 

 

それは、

 

「文句を言わないおとなしいタイプ」

 

と、

 

「実力はあるが、経営陣や上司にズバっとものを言うので、受けが悪いタイプ」

 

がもっとも狙われるそうです。

 

 

 

出向のピンチをチャンスに変えた人物

 

40歳以上の転籍は基本的に、片道切符のことが多いそうです。

そんななか、そのネガディブな出向から社長までなった有名人もいます。

 

トヨタ自動車社長の奥田さんと言う人です。

 

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≪奥田氏の経歴≫

トヨタ自動車株式会社代表取締役社長

同社代表取締役会長

同社取締役相談役、

社団法人日本経営者団体連盟会長

社団法人日本経済団体連合会会長

内閣特別顧問などを歴任

 

奥田氏は、人事部での評価が最低で1972年の秋に40歳でマニラに出向させられ、在任期間は6年半にも及んだといいます。

 

現地では、トヨタ車の組み立て・販売を独占していたデルタ・モーターの社長からトヨタへの延滞金の徴収の任務に就きました。肩書としては、『経理アドバイザー』でした。

 

任務としては、非常に困難なもので事実上の左遷と言うやつでした。

 

しかし、奥田氏は当時のマルコス大統領らのコネを生かして、その回収業務を成功させました。

 

その功績から、章一郎氏の強力な推薦で、79年に本社豪亜部長に復帰しました。

 

49歳で取締役に選任されて、その後はトントン拍子で95年には社長に就任しました。

 

この奥田社長は、低迷にもがき苦しむ当時のトヨタを短期間で立て直して、その後の世界のトヨタの足場を築き、その道筋をつけた最大の功労者なのです。

 

世界に先駆けてハイブリット車の『プリウス』を販売し、これまでトヨタが敬遠していた『F1』への参戦を表明したのも、奥田社長政権の時です。

 

社長就任は、1995年8月~1999年6月まで8代目社長として、トヨタ自動車を引っ張って行き、その後は、張富士夫社長職をに譲り、自身は会長就任します。

 

この奥田・張体制の 10 年間で、企業体質を強化して世界一へ踏み出す第一歩を踏み出すことになります。

また、1996年、米経済誌で世界最優秀経営者25人の1人に選ばれたこともあるそうです。